アイキャッチ:松陰神社宮司の齋藤憲輝(以下、斎藤)さん
いい町には、いい神社がある──。
これは全国各地を取材してきた僕ら編集部が信じていることであり、伝え残したいことです。
松陰神社前の地域にも、立派な鳥居と本殿が、商店街を抜けたところに構えられています。
混乱を極める幕末、至誠の心を持ち、国のために生きた天才がいました。彼は松陰先生と呼ばれ、今でも多くのひとに慕われる存在です。
塾主を務めた松下村塾では、松陰先生は身分の上下や職業に関係なく、若者と共に畑仕事などをしながらそれぞれの長所を伸ばす教育をおこないました。
初代内閣総理大臣である伊藤博文、内閣総理大臣はもちろん内閣の長老として活躍した山県有朋など、松下村塾からは明治維新を成し遂げた若者たちが巣立っていったのです。
現在も、次世代を背負う俊才や逸材を生み出し、広く讃えられる偉人、吉田松陰。
松陰先生を祀る松陰神社が、この地に創建されたのは今から約150年前の1882年(明治15年)のことです。
お弟子さんたちの敬愛の念がカタチになった神社
人々から敬愛された松陰先生。ですが、「安政の大獄」(*1)で江戸にて処刑され、回向院(えこういん)という当時の罪人を弔う南千住のお寺に埋葬されました。松陰先生の考えは、幕府を脅かすものと考えられてしまったからです。
(*1)安政の大獄:安政5年に大老となった井伊直弼が日米通商条約に調印。これに反対する人々を投獄し罰していった幕府の弾圧です。
松下村塾のお弟子さんたちからすると、自分たちの先生が罪人として扱われるのがしのびなかったといいます。 しかし、手を尽くしたものの、すぐにお墓を移すということはできませんでした。
そして4年後の文久三年(1863年)。藩主の許可を得て、ようやく回向院から松陰先生の亡骸を移すことになりました。選ばれたのが、もともと毛利家の抱え地であった、現在の世田谷区若林にあたる場所です。
「松陰神社と、その隣にある若林公園のあたり一帯は、江戸の初期(延宝2年・1674年)から長州藩の毛利家が管理している抱え地(*2)で、江戸で火事が起きた時の避難場所になっていたところでした。毛利家の上屋敷は日比谷公園の近辺に、下屋敷にあたるのは、今の東京ミッドタウンのあたりだったそうですよ。吉田松陰先生の亡骸をこちらに持ってきて、お墓を立てたのが幕末の話です」
(*2)抱え地:江戸時代に武士や町人などが農民から買い取って所持した土地のこと。松陰神社とその隣にある若林公園のあたり一帯は、二代藩主の毛利綱広公が土地を買ったとされています。
時代は進み、明治維新という新しい国づくりがおこなわれました。明治維新の最初は内戦の時代ですが、だんだん国が落ち着いてきた頃、松陰先生の御霊を祀る神社をつくろうという話がお弟子さんたちの間から挙がります。
そしてようやく、明治15年(1882年)に、墓畔に社殿を築き、松陰神社が創建されました。
吉田松陰の「志」は、今も受け継がれています
御祭神である松陰先生が大切にし、お弟子さんたちに教えたことは、ひとに対する尊信と真心だったそう。前者は尊敬して信頼する、後者は偽りや飾りのない心という意味の言葉です。
「松陰先生を一言であらわすと、“志”のひと。志を実現させるためにどうすればいいかを考えて、行動した方です。夢は志と似ているけど、私的なことも夢と言える。松陰先生が考えていた志というのは、国のため。よりわかりやすいのは“ひとのため”ということではないでしょうか」(齋藤さん)
松陰神社に参拝すると、松陰先生やそのお弟子さんたちのように、志を持って暮らしているか問いかけられているような気がします。松陰神社はこの土地に受け継がれた考え方を、いまも感じられる場所なのです。
「神社は雰囲気が大事。変に飾り立てるのではなくて、全てが整然としている空間には緊張感が生まれます。松陰先生の凛とした心持ち、生き様を、お参りにいらした方の心に自然と感じてもらえたらと思っています。
悩みがある時にそれが解決するわけではないけれど、松陰先生の気概──困難にくじけない強い意思──を想った時に、自分自身を見つめ直し、気持ちをリセットして前向きになれる場でありたいですね」(齋藤さん)
いい町には、いい神社がある
僕ら編集部は「いい町には、良い神社がある」と信じています。そのきっかけは、島根県海士町にある隠岐神社の禰宜(ねぎ)・村尾茂樹さんから聞いた「海士町では、故郷の中心に神社がある」というお話にあります。
町の人が交わす会話と、人々の記憶に神社があることによって、代々語り継がれて地域で共有されるものがあるはず。だから、故郷の中心に、神社は欠かせないのです。
また、松陰神社の最寄りにある駅の名前は、「松陰神社前」。駅名そのものが、神社がこの土地の中心にある証と言えるでしょう。
そしてこの地域では、先にお話したように、松陰先生という人物の物語が広く親しまれています。
土地に根付いた物語があると、自分の地域のことを楽しく話せます。昔はこんな爺さんがいたとか、どういう祭事があったとか。町を話題にしていると、そういえば神社のあの部分が傷んでいるから修復したらどうか、というような話にも結びついていきます。
取材中も若い女性が一人でお参りに訪れたり、スーツ姿の男性たちが複数で連れ立って訪れたりと、常に誰かが参拝していました。
吉田松陰の“志”が受け継がれるとともに人々が日常的に訪れる場所として、松陰神社は地域の核となり、暮らしを支えているのかもしれません。
お話をうかがったひと
齋藤 憲輝(さいとう のりてる )
松陰神社の6代目の宮司さん。神社の責任を担う神職として、凛とした吉田松陰先生の気概を感じられる神社づくり・運営をおこなっている。
この場所について
松陰神社
住所:東京都世田谷区若林4-35-1
電話:03-3421-4834
神社開門時間(参拝可能時間):7:00~17:00
※お守り、お神札受付時間:9:00~17:00(社務所休務日を除く)
※ご祈祷(社殿でのお祓い)受付時間:9:00~16:30(恒例祭典時及び社務所休務日を除く)
アクセス:東急世田谷線・松陰神社前駅下車。松陰神社通り商店街を北へ徒歩約3分
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